アド・アストラを観て思ったことがある。
地球平面論者は人類の未来に希望を持てなかったからこそ、地球平面説を信じるようになったのかもしれない。
もし人類が誰とも会えず、この広い宇宙で一人寂しくその文明が崩れゆくことになるとしたらどうだろうか?
もちろんその背景には、そこに至るまでの理由があるのだろう。
繰り返される戦争による人類の集団自殺だったり。太陽系、銀河系、その先までをも制覇した結果、ついぞ異なる文明と遭遇しなかったり。
どちらにせよ、人類は無に帰すのだ。
もしその運命が決定論的に定められてらいるとしたら?
人類はその歴史をどこにも刻むことが出来ずに滅びるのだ。
これほど悲しいことはあるだろうか。
人は楽な方に流れていくものである。
人類の孤独な未来に絶望しているとしたら?
そもそも人類には地球が全てだ。大地は平らでいいし、宇宙なんていらない。
この狭い世界には人類がいる。動物がいる。植物もいる。寂しくなんてない。
人類にとって宇宙は、広すぎて暗すぎて冷たすぎる。
地球平面説の裏には、人類への悲しみが溢れている。